後藤 敏康(ごとう としやす、1852年(嘉永5年2月)- 1901年(明治34年)5月30日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員、宮城県遠田郡不動堂村長。幼名・力三郎、のち和泉と称した。